ここまで来るために・・・ ちょっとまじめに語ってみました このページでは、私が作詞家になるまでの経緯をお話します。 もしも、作曲家や作詞家を目指している方がいらしたら、一つの「例」として読んでみてください。 ♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪
デビューする予定でしたが諸事情により。。。。。没(T_T)
音楽作家の略だと思うんだけれど・・・・)に転向。もともと書く方が好きだったから、あっさり決められた。 それから音楽事務所に入り、デスクワークから、マネージメント、楽器運び、そして時々作詞活動。 その事務所は作曲家が主なメンバーなので、作曲してても、目立たないと思った!!! 主にテレビや映画の「劇ばん」と呼ばれるBGMや、ミュージカル、CM、レビューなどを制作する事務所だったので 私が唯一作詞できるチャンスがあるのは、ミュージカルぐらいだった。 「POPSの作家を目指しているのに、ミュージカル・・・???」 最初はとまどったけれど普通のPOPSとは作り方、取り組み方が全然違って、 今になって思えば、ものすごく貴重な仕事をさせてもらったと、「心から感謝」してる。
スタジオが入れば行かなきゃならなかったし。シンセサイザーを運んだり、 楽譜配ったり、やることはいっぱい! 請求書も書いた。何でもやった。スタジオが朝6時まで終わらなければ、6時までいた。 次の日も出勤時間には出勤していた。 仕事の手配の間違いを夜中に気が付いて、眠れなくなった事もあったけれど、 「今からじゃ、どうしようもない。明日の朝一番で対処しよう。」って考えをスイッチする事を覚えた。 というより、そうしないと心も体も、壊れちゃうから!! どうしても音楽で生きていく!それしかないっていうものすごいパワーがあったから、 『できたんだろうな。』
私は作家なのに現状は作家活動よりも他の仕事に追われっぱなし。疲れ果てていた。心も体も。 出勤しようとすると、ものすごい胃痛。。。。心と体が拒否してるのが、はっきりわかった。 偶然にその年の年末、初めて長い休みをもらって、一人でロンドンに行ってみた。 イギリス上空を飛行機が旋回しながらヒースロー空港に着陸しようとしている時、「来た〜〜〜!!!!!」って嬉しかった。 ロンドンに親戚が住んでいるので、そこに居候したんだけれど、逢うのなんて初めてに近い。 その親戚は、何十年もロンドンに住んでるから。
親切なイギリスの人々。とおい昔、殺し合いのあったお城。テムズ川。 ポートベローの、のみのいち。ミュージカル。歴史があるって素晴らしいと、肌で感じさせてくれた国。 生まれて育って大好きな東京なのに、疲れ果てていた私は東京から逃げ出したかった。 帰るところといえば、東京しかない私。 ずっとここに、ずっとイギリスにいたいと思った。 けれど、またたくまに10日間が過ぎ、東京へ帰る日がやってきた。 見上げたディパーチャーの案内のボードには「LONDON-NARITA」 その時!!考えられない事に、信じられない事に「TOKYO」という文字がものすごく懐かしく嬉しかった。 「帰ろう!!!私のふるさとの東京に!!世界から見たら、ちっぽけな私の、ちっぽけな悩みなんて、どうってことないさ!!! 頑張ろう!!! 頑張れる!!! 頑張りたい!!!」
東京に帰ってきたら、それまでがウソのようにうまく仕事が行き始め、まもなく舞台以外の作詞、 いわゆるレコード作詞デビューを果たしました。 それも「松山善三監督」の映画の主題歌で、歌は「さとう宗幸」さん。 いきなり主題歌で、もちろんA面なんて、思いも寄らなかった。 嬉しかった。嬉しかった。嬉しかった。ジャンルがどうの・・・なんて、もうどうでもよかった。 23歳の春の事でした。
経済的にも、イコール仕事なんかあるのだろうか・・・と不安と、 「でもこのままでいたくない。」 という気持ちが心から離れず、とうとう「なんとかなるさっ!」と、事務所をやめた。
と思ったら、次の日、直接家に電話があり、仕事の発注!!!! 正直驚いた。 「木本さん、頑張ってたからさ、何かあったら声かけようって思ってたんだ。」 見ていてくれた人がいた事への感謝の気持ちと、頑張ってきてよかった、と思う気持ちで、 「ありがとうございます・・・・」しか言えなかった。 あの時ロンドンに行ってなければ、私の人生も変わっていたかも。。。。。 そしてあの頃、あんなに苦しかったデスクワークやマネージメント、 その他、全ての経験と、知り合えた方々があってこそ、今の私があります。 綺麗ごとじゃなく、どんな仕事でも場所でも「無駄な経験はない」と思います。
「スペースワールド」のテーマ曲とイメージソングでした。 それから、みなさんのおかげで、順調に仕事の量は増え、かろうじて今も「作詞家」ができています。 1999年、プロになって15年。そして1999年の7月。独立してちょうど10年になります。 |